Oct 06, 2009

教習所に通って免許を取得しようと

自動車免許を取るため、教習所に通う人はたくさんいるのではないかと思います。教習所は、全国各地にあるので、自分の家で通いやすい教習所を見つけることができると思います。教習所では車を運転する技術と、車を運転するための重要な知識を学びます。教習所で毎週定期的に通えば3ヶ月前後で免許を取ることができます。
合宿免許に参加するときに一緒に旅行気分も味わえる楽しみが増えましたね。合宿免許は観光地として人気の高い場所で行われていることが多く、自由な時間には観光と温泉を楽しむプランもご用意しています。伊豆大島でも、自動車教習所があり、海を見渡す宿に泊まったり温泉に浸かってなど、都市では味わえない合宿を体験することができます。
 今年も受験の季節である。中学受験はほぼ終わったようだが、高校、大学は真っ盛りである。友人のお子さんが受験と聞くと、口をついて出るのは「がんばれ」ではなく、「風邪をひかないように」である。この季節、インフルエンザが真っ盛りだからだ。

 受験は場合によっては一生を左右するかもしれない大イベント。そんな大事な時期に熱が出て、実力を十分に発揮できなかったり、受験ができなくなってしまったりでは泣いても泣ききれない。それまでの苦労は何だったのか、と諦められない気持ちにもなろうというものである。

 加えて、この季節、東北、日本海側は大雪である。高校受験なら、おおむね同じ都道府県の仲間がライバルだから、まだしも公平だが、大学入試センター試験ともなると、好天の関東と吹雪の地域では環境が違いすぎる。豪雪地帯での受験は、かなりのハンディではなかろうか。

 そんな最悪の2、3月にあえて入試をするのは、新学期が4月であるためだ。秋に入試をやってしまっては、新学期までの半年間、みんな勉強しなくなってしまう。もっとも推薦入試などでは、その弊害が出ているとも聞く。

 では、なぜ4月が新学期かというと、4月から会計年度が始まるからである。要するに、会計年度に合わせて新学期が決められ、そのためにインフルエンザと豪雪の時期に、子供たちに受験を強いているのである。

 お隣・韓国の新学期は3月、欧米は圧倒的に9月が多い。9月にしている理由は、旧学期と新学期の間に7、8月の長い夏休みをはさむことで、頭を切り替えるとともに、入学にともなう引っ越しなどに対処しやすいためだという。

 実は日本も、明治中期までは大学は9月が、小学校は1月が新学期だった。各学校が4月を新学期としたのは明治中期以降らしい。

 軍の学校でも、当時は新学期は9月で、9月生まれから翌年の8月生まれまでが同学年であった。何と8月末生まれまでが早生まれだったのである。

 サクラが咲いていないと、入学式の気分が出ないと思う人もいるだろう。確かに4月はサクラが咲き、入学式にふさわしい雰囲気を作り出すが、4月上旬、九州ではサクラは散っているし、東北ではまだ咲いていない。海外に留学する人も多い時代。いつまでも2、3月入試、4月入学にこだわるべきではないのではないか。(編集委員 大野敏明)

 ニュージーランドの大規模地震発生から6日目。行方不明者の身元確認に大きな進展がない中、現地では安否不明の日本人留学生を受け入れていたホストファミリーも、日本の家族と同様、不安な心情で救援活動を見守っている。「今の気持ちは言葉ではとても言い表せない」。富山市立富山外国語専門学校の村上恵美さん(19)=富山県小矢部市=のホストファミリーが産経新聞の取材につらい胸の内を明かした。(クライストチャーチ 林佳代子)

 「今でもまだ信じられない。毎日涙を流している」

 村上さんのホストファミリー、スティーブン・タブさん(50)とリンダ・バローズさん(61)は悲痛な表情を浮かべた。

 タブさんらが村上さんを出迎えたのは地震発生3日前の今月19日。翌日には村上さんを車で郊外の観光名所に案内したほか、バーベキューパーティーを催すなど歓迎した。会ってわずかだが、タブさんは「恵美は恥ずかしがり屋でかわいらしい子。私たちにとっては家族同然だ」と話した。

 地震発生直後、タブさんは村上さんの通う語学学校「キングズ・エデュケーション」が入るCTVビルの倒壊を知り、仕事先からすぐに自宅に引き返した。

 バローズさんと交代で何度も村上さんの携帯電話を鳴らしたが、音信不通のまま。インターネットで行方不明者の中に村上さんの名前を見つけたときは、「心臓が止まるようだった」という。

 24日には、安否不明の生徒の家族やホストファミリーを対象にした語学学校の説明会に参加したが、安否につながる情報は得られなかった。日本の家族の連絡先も分からず、村上さんの情報を求めてネットをながめる日々が続いた。

 日本の外務省から連絡を受けたのは26日朝で、タブさんらはその日のうちに現地入りした村上さんの母親と自宅で面会。村上さんが3日間過ごした部屋に招き、村上さんが観光名所で羊や大聖堂などを熱心にカメラに収め、日記に記録をつづっていたことなどを伝えた。

 その後、母親は「1人にさせてほしい」と、部屋で静かにたたずんでいたという。その姿に、タブさんは「言葉が出なかった」と語る。

 「ニュージーランドに来るのが夢だった。英語の勉強を頑張りたい」と話していた村上さん。タブさんらの自宅には今も、村上さんが日本で買ってきたプレゼントのうちわや日本茶、便箋などが飾られている。

 「このままの状態が続くのは私たちもつらい。早く事態が進むのを待っている」

 2人は祈るようなまなざしを見せた。看護師 求人

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